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最高裁判所第三小法廷 昭和36年(あ)1427号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。

理由

検察官の上告趣意について

第一点は、判例違反をいうが、引用の判例はいずれも本件に適切ではないから前提を欠き、第二点は、単なる法令違反の主張であつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

なお、本件については、被告人中島隆夫からも上告の申立があつたが、同被告人は、刑訴四一四条、三七六条、刑訴規則二六六条、二三六条、二五二条により定められた期間内に上告趣意書を提出していない。

職権をもつて調査すると、原審は、本件公訴事実中被告人両名に対する昭和二四年七月二八日岐阜県条例二八号行進又は示威運動に関する条例(以下本件条例という)違反の点について、被告人らは、いずれも集団行進又は示威運動(以下単に示威運動という)は、あらかじめその場所の所在地の区域を管轄する公安委員の許可を受けないでこれを行つてはならない旨を規定する同条例一条に違反するものとして、同五条の罰則の適用を求められたものであるが、右一条にいう「その場所の所在地の区域を管轄する公安委員会」というのは、同条例制定当時施行されていた改正前の警察法(昭和二二年法律一九六号、以下旧警察法という)の関係条文および本件条例四条二項に、「公安委員会は、第二条に規定する申請を許可しなかつた場合には、遅滞なく公安委員会の属する県市町村の議会に対し、その旨及び理由を詳細に報告しなければならない」とあるのを綜合すると、旧警察法に基づく所轄の県市町村公安委員会を指すことは明らかであり、これらは昭和二九年法律一六二号警察法(以下新警察法という)の施行に伴い廃止された結果、本件条例一条において、本件の如き示威運動を行うことに関して許可を所管事項とする岐阜県市町村公安委員会(本件においては関市公安委員会)も廃止されたのであつて、今日においては、同条例において本件の如き示威運動に関して許可を管掌する行政庁は存在せず、少くとも右一条に関する限り現実に作用することのできないものというのほかはなく、したがつて、同条の違反を処罰する同五条の罰則もその適用の余地がなく効力を失つたものであるから、被告人らに対する前記公訴事実については、刑訴三三七条二号にいわゆる刑が廃止された場合に当る旨判示して、被告人両名に対する前記公訴事実につき、それぞれ免訴の言渡しをしていることが明らかである。

しかし、原判決が指摘する本件条例一条中の「その場所の所在地の区域を管轄する公安委員会」とは、単に管轄の公安委員会という趣旨に解すべきであり、また、同四条二項は、右公安委員会が申請を許可しなかつた場合の措置に関する規定であつて、警察法改正後においても、同条例が示威運動の許可管掌機関を特に旧警察法に基づく公安委員会に限定した趣旨に解するのは相当ではなく、新警察法施行後は、当然に同法に基づく岐阜県公安委員会が右許可管掌機関に当るものというべきである。のみならず、本件条例一条が、示威運動を行うに当り、あらかじめ公安委員会の許可を受けることを要する旨規定しているのは、示威運動により、明らかに公共の安全を害するような事態の発生を予防するためであり(同四条一項参照)、本件の如く、その許可を受けないで示威運動を組織し、もしくはこれに参加する行為を処罰することの必要性は、旧警察法に基づく県市町村公安委員会が廃止され、新警察法に基づく県公安委員会が設けられたということによりなんらの影響を受けるものとは考えられないのである。

されば、旧警察法に基づく県市町村公安委員会が廃止されたことを根拠に、本件条例一条により示威運動について許可手続を管掌する行政機関が消滅した結果、同条に関する限り現実に作用することができなくなつたものとして、被告人両名に対し前記公訴事実につき免訴の言渡しをした原判決には法令の解釈適用を誤つた違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすものというべく、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よつて、刑訴四一一条、四一三条本文により、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。(裁判長裁判官横田正俊 裁判官石坂修一 五鬼上堅磐 柏原語六 田中二郎)

名古屋高等検察庁検事長松本武裕の上告趣意

第一点<省略>

第二点 原判決は、岐阜県条例ならびに刑訴法第三三七条第二号にいう「刑の廃止」について、解釈適用を誤つており、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められるから、同法第四一一条第一号により破棄せらるべきものと思料する。以下その理由を論述する。

一、岐阜県条例の解釈の誤りについて

原判決が本件につき免訴の裁判を言い渡した理由の要旨は、前に摘記したとおり、岐阜県条例においては、行進又は示威運動(以下単に示威運動という)についての許可機関である「公安委員会」は新警察法の施行に伴い廃止され、同条例一条は「現実に作用することのできないもの」であるから、同条の違反を処罰する五条の罰則も「今日においては適用の余地はなく、効力を失つたもの」というのであるが、右判断は、その判文自体から見て静岡県条例に関する昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決(集一四巻九号一二一五頁)を引用し、これを有力なる論拠としていることが明らかである。

右最高裁判所判決が昭和二三年一二月二一日静岡県条例第七四号違反事件につき、免訴の裁判を言い渡した理由は、昭和二九年七月一日、新警察法(同年法律第一六二号)の施行によつて、市町村の自治体警察及び公安委員会は廃止せられ、前記静岡県条例第二条において本件示威運動に関して許可を所管事項とする静岡市公安委員会も、右警察法の施行に伴つて廃止せられたのであつて、今日においては、同条例において本件のごとき示威運動に関して許可を管掌する行政庁は存在しないことになつたのである。(もつとも、前示警察法は同七九条で同法実施のため必要な事項を政令に委任し、これにもとづき昭和二九年六月一九日政令一五一号警察法施行令が公布され同令附則一九項にはかような警察機構の改変に伴う警察の事務に関する市町村条例の経過措置が規定されたけれども、右の経過規定は、従前、市町村条例によつて自治体警察の機関又は職員の事務とされていた事項に関しては適用なきものである。また当裁判所が職権によつて調査するところによれば静岡県において、その後同条例の運用に関し、条例をもつて、右示威運動の許可機関として市公安委員会に代る機関を制定した事実のないこともあきらかである)

とすれば、右静岡県条例は、少くとも同二条に関するかぎり、死文化したものというの外なく、従つて同条の違反を処罰する同六条の罰則も今日においてはその適用の余地はなく効力を失つたものといわなければならない。すなわち本件公訴にかかる犯罪事実については、刑訴三三七条二号にいわゆる「刑が廃止された」一場合に該当するものと解すべきである。

というのである。しかしながら、岐阜県条例は、示威運動等の許可機関及び条例の施行地域について静岡県条例と規定の仕方を異にしているばかりでなく、その運用の実際においても静岡県条例の場合と全く異にするのであるから、本件に適切でない右最高裁判決を引用して免訴の裁判を言い渡した原判決は、岐阜県条例の解釈適用を誤つたものといわなければならない。

以下その理由を分説する。

1 岐阜県条例においては、その規定の体裁上、今日においても、示威運動の許可を管掌する行政庁は存在するものと解すべきである。

(一) 示威運動等の許可機関として、静岡県条例においては「所轄の市町村の公安委員会」と規定されているのに対し、岐阜県条例においては単に、「その場所の所在地の区域を管轄する公安委員会」と抽象的に規定されているばかりでなく、条例の施行地域についても、静岡県条例においては自治体警察を維持する市町村に限定されているのに対し、岐阜県条例においては県下全地域に及ぶものであることは条例の文言自体から明らかであるから、静岡県条例については、新警察法の施行に伴い示威運動等の許可機関は廃止されたものと解されてもやむをえないものがあるが、岐阜県条例第一条の「公安委員会」は、新警察法施行後においては当然に新制度の岐阜県公安委員会を意味するものと解しうるのであつて、現に岐阜県においては、かかる解釈の下に同条例を今日に至るまで運用している実情にあるのである。

新警察法によつて警察制度が県警察に一元化された後において、岐阜県条例第一条に「その場所の所在地の区域を管轄する」とのいわば不要の文言となつた字句がそのまま削除されずに残つていること及び同第四条の不許可の場合の報告先として「公安委員会の属する県市町村の議会」との規定が新制度に合致するように修正されていないことは不手際であるが、この点のみを捉えて、第一条にいわゆる「公安委員会」は、旧制度下の県公安委員会または市町村公安委員会を指すものであつて、新制度の県公安委員会を意味するもと解釈する余地は全く存しないというがごときは、あまりにも法条の枝葉末節に拘泥した見解であるというべきである。

まして、新警察法の施行は、いわゆる公安条例の立法精神そのものには何ら影響のない一つの事情に過ぎない。すなわち、岐阜県条例の立法精神は、いうまでもなく、公安維持という公共の福祉の観点から、県内における示威運動につき、必要最小限度の規制をしようとすることにあるのであり、新警察法の施行たるや、単なる警察制度の変更に止まり、公安条例の立法精神そのものに対しては何ら関知するところなきものである。従つて、新警察法施行後においては、同条例第一条の「その場所の所在地の区域を管轄する」との文言及び第四条の「公安委員会の属する県市町村の議会」なる文言のうち「市町村議会」とあるのは無用な規定として残存しているにすぎないものと解すべきであつて、これを除いた「公安委員会」「公安委員会の属する県の議会」は、警察制度の変更に伴い、その文言自体から当然に新制度の県公安委員会及び県公安委員会の所属する県の議会を意味することになつたと解し得るのである。そして、この制度の変更は事柄自体まことに明瞭であつて、かく解することにより利害関係者に何らの不利益を及ぼすものとも考えられないのであるから、むしろそのように解することこそ生きた法の合目的解釈として当然許さるべきものであり、かかる変更解釈を目して、原判決のいうごとく「換骨脱胎」として非難すべき筋合ではないと考えるのである(佐藤達夫編「法制執務提要」三六九頁参照)。

<中略>

2 岐阜県条例は、新警察法施行後も引続き現実に運用されており、静岡県条例におけるように「死文化した」ものということはできない。

原判決が、岐阜県条例は少なくとも第一条に関する限り「現実に作用することのできないもの」との前提に立ち、第五条の罰則も今日においては適用の余地はなく効力を失つたものである旨判示しているのは、静岡県条例に関する前記最高裁判決が、同条例二条を「死文化した」とする判示を援用したものと推測されるのであるが、両者はその運用の実際においても著しく事情を異にしているのである。

静岡県条例についての右最高裁判決が、同条例は少なくとも第二条に関するかぎりすでに「死文化したもの」と判示している趣意は必ずしも明らかでないが、その意を忖度すれば、同条例において、前に論じたごとく同条例の解釈上示威運動の許可を管掌する行政庁が今日においては存在しなくなつたものと解釈されてもやむをえない点があることの外、同条例の運用が事実上全く停止されていた事実をも考慮した上での判断であると思料されるのである。

すなわち、静岡県においては、前記条例違反事件につき、すでに新警察法施行前である昭和二八年一一月一九日静岡地方裁判所においては、前記条例違反事件につき、すでに新警察法施行前である昭和二八年一一月一九日静岡地方裁判所において、同条例第五条が、単に「公安委員会は示威運動が公安を害する虞れがないと認める場合は許可を与えなければならない」と規定し、他の一般の公安条例に比べ、不許可にするについての制約が比較的厳格でないところから、これを違憲とする旨の判決があり、さらに昭和二九年九月一五日二審東京高等裁判所においても右同様の判決があつたため、同条例による示威運動の許可申請は事実上ほとんど停止されていた実情にあるのであつて(昭和三〇年度以前は関係資料焼却のため詳細は不明であるが、昭和三一年度以降は全く停止されている。)。右最高裁判所判決はかかる事実を考慮にいれて、同条例二条を「死文化した」と判断したものと認められるのである(田原最高裁調査官の判例解説、法曹時報一二巻九号一四三頁参照)。<中略>

二、刑訴法第三三七条第二号の「刑の廃止」についての解釈の誤りについて

岐阜県条例第一条が「現実に作用することができないもの」ないし「死文化したもの」でないことは、右に論じたとおりであつて、原判決がすでにその前提において判断を誤つていることは明らかであるが、同条の「公安委員会」が新警察制度における岐阜県公安委員会を意味するものと解すると否とを問わず、同条違反の所為の可罰性に関する法的価値は新警察法施行の前後によりいささかも消長を来すものではないから、同法施行前における同条例違反の事実について免訴の言渡しをした原判決の判断は、刑訴法第三三七条第二号にいわゆる「刑の廃止」についての解釈を誤つたものである。

従来、刑訴法第三三七条第二号にいう「刑の廃止」の本質如何に関しては争のあるところであるが、大別して二つの考え方があり、一は、「刑の廃止」とは既存の刑罰法令の廃止(失効を含む)を意味するものとなし、原則として法令の廃止後においてはこれを適用すべきではなく、明示または黙示による反対規定がない限り免訴とすべきであるとなすものであり、他は、罪刑法定主義のもとにおいて、犯罪行為の可罰性とこれに科すべき刑罰は行為時法によるべきことは当然であつて、行為時法により刑罰権が一旦有効に成立した以上、その原因となつた法規が行為後将来に向つて廃止されたからといつて、既成の法律効果まで消滅するものではなく、刑訴法第三三七条第二号、第四一一条第五号にいう「刑の廃止」とは、犯罪後の法令により明示または少なくとも黙示をもつて、すでに発生した国家刑罰権をとくに放棄した場合を指すものであるというのである。

検察官としては後説を正当であると信ずるものであるが、その点はおくとしても、最近の判例は、必ずしも「刑罰法令の廃止」をもつて直ちに「刑の廃止」に当るものとなしている訳ではない。すなわち、例えば、物価統制令にもとづく物価庁告示による統制額の廃止された場合についての昭和二五年一〇月一一日最高裁大法廷判決(集四巻一〇号一九七二頁)は、「旧事情下においては反社会性を有つものとせられたその違反行為の可罰性に関する価値判断は告示廃止の後においても依然として異なるところはない」旨判示して、物価庁告示による統制額の廃止は「刑の廃止」に当らないとし、また「刑の廃止」に当るとする場合についても、いわゆる政令三二五号違反事件に関する昭和二八年七月二二日の最高裁大法廷判決(集七巻七号一五六二頁)の多数意見は、「平和条約発効後においては連合国最高司令官は解消したのであるから『連合国最高司令官の指令』が発生する余地もなく、したがつて『連合国最高司令官の指令違反行為』が発生する余地がないのも当然自明の理である。それ故、指令違反を処罰する政令三二五号は、平和条約発効後においてはその効力を保持する余地がなく、当然失効したもの」であつて、「占領下に同政令において違反とされた行為の違法性及び可罰性は占領終了と共に当然消滅するもの」となして、政令三二五号違反事件について免訴を言い渡しており、或いは、奄美大島の本邦復帰に伴う関税法違反事件についての昭和三二年一〇月九日最高裁大法廷判決(集一一巻一〇号二四九七頁)における多数意見は、南西諸島群が外国とみなされていた当時、免許を受けないで、日本内地から同地域へ、若しくは同地域より日本内地へ貨物を密輸出し、若しくは密輸入した罪については、その後同地域が我が国に復帰し外国とみなされなくなつても「刑の廃止」があつたものとはいえないとする従来の最高裁判例(昭和三〇年二月二三日、同三一年五月二三日、同年七月四日、同月一八日、同年九月二六日付の各判決)を変更して、右のごとき関税法違反行為は、南西諸島大島郡の本邦復帰後は「何ら犯罪を構成しなくなつたのであつて、これによつて右行為は可罰性が失なわれた」から「刑の廃止」に当るものと判示しているのである。

このように、右の二、三の裁判例によつてみても、「刑の廃止」があつたとするには、単に刑罰法令の廃止という形式的な面だけを捉えて判断しているのではなく、法令廃止後裁判時において行為の可罰性が実質的に失なわれたかどうかを判断の基準にしていることが明らかに看取されるのである(とくに関税法違反事件についての前掲昭和三〇年二月二三日最高裁判決において、小林裁判官は免訴説を採りながら、その補足意見として「法令の改廃があつたからといつてそれだけで常に直ちに刑の廃止があつたと解することは出来ないが、その行為に対する国家的または社会的評価が裁判時において全く変更し、可罰性ある社会悪としての本質を根本的に失なつて仕舞つた結果、行為的における関係も同様に消滅したと見なければならないような場合には、刑の廃止があつたものと見るべきである」と述べられている点は、注目を要する。)。

かくして、「刑の廃止」に関する右一連の判例の趣旨を右のように理解することによつて、前記静岡県条例に関する最高裁大法廷における多数意見も首肯されるのである。すなわち、右多数意見が、「今日においては同条例において本件のごとき示威行進に関して許可を管掌する行政庁は存在しないことになつたのである」となし、「少くとも同二条に関するかぎりすでに死文化したものというの外なく、従つて同条の違反を処罰する同六条の罰則も今日においては、その適用の余地はなくなつたものといわなければならない」と判示しているのは、同条例については、新警察制度の発足に伴い示威運動等の許可機関たる市町村の公安委員会が消滅し、かつ県条例による何らの経過措置も採られていないという事実の外に、前に述べたような特殊事情から同条例の運用が事実上停止されていて罰則も全く働いていない事情を考慮にいれ、正にその二条は「死文化し」たもので、もはや同条例違反事実につき可罰性が失われたものとみて、刑の廃止の一場合に当ると判示したものと思料されるのである。

してみると、静岡県条例に関する右最高裁判決は、同条例違反事件を特殊の唯一の例外的場合に属するとして「刑の廃止」に当ると判断したものと理解すべきであつて、これと全く事情を異にする本件岐阜県条例違反事件につき右判決を引用して免訴の言渡をした原判決は、結局「刑の廃止」に関する法令の解釈を誤つたものといわざるをえないのである。

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